百年物語 8月公演

1911年(明治44年)

吉本/第2文芸館の経営権を取得

1912年(明治45年・大正元年)

世界/タイタニック号沈没

世界/中華民国が成立し、宣統帝(ラストエンペラー)が6歳で退位

吉本/第2文芸館を開場 当時の寄席の相場が15銭のところ5銭でという入場料金の安さと文句なしに笑わせる演芸で連日大入り満員、吉本夫妻は木戸口に座り、お客さんの下足を揃え、楽屋では芸人さんの身辺の世話に汗を流した。

吉本/「吉兵衛」が「泰三」に改名

1913年(大正2年)

吉本/吉本興行部設立 「吉本興行部」を居住も兼ねた大阪市南区笠屋町へ転出。

1914年(大正3年)

世界/チャップリンがアメリカ映画に出演し始める。

世界/ハリウッドに映画スタジオが誕生

吉本/次々と寄席を買収 7月までに松島「蘆邊館」、福島「竜虎館」(後の福島花月)梅田の「松井席」(のちの「清龍館」)天神橋筋5丁目「都座」を獲得 。

1915年(大正4年)

吉本/「花月」の誕生 この年より名だたる直営館に「花月」名をつける。

1917年(大正6年)

吉本/林正之助が入社 吉本せいの実弟・林正之助が吉本興業に入社。

1922年(大正11年)

吉本/横山エンタツが本格的に漫才を始める

1923年(大正12年)

日本/関東大震災

1924年(大正13年)

吉本/吉本泰三が39歳で死去

1925年(大正14年)

日本/ラジオ放送スタート

吉本/花菱アチャコが吉本に入社 千歳家今男とコンビを組み人気を博す。

1927年(昭和2年)

世界/アメリカ大衆文化が日本に!関東大震災後、ジャズとカフェー、喜劇映画が日本に入り、チャップリン、ロイド、キートンらが人気を博す。

吉本/林弘高が東京花月を設立。大衆社会の到来とともに、笑芸の中心に「万才」が登場。

1929年(昭和4年)

日本/多くの人が浅草に映画館、寄席小屋、見せ物小屋が立ち並び、街ではモボ・モガ(モダンボーイ&ガール)と言われる若者達が闊歩した。

世界/世界大恐慌

日本/川端康成が「浅草紅団」の連載を開始

吉本/横山エンタツが漫才師、浪曲師、踊り子などを引連れて半年間アメリカ巡業に出る。

1930年(昭和5年)

日本/東芝が電球の小売販売

吉本/エンタツ・アチャコ結成 横山エンタツ・花菱アチャコがコンビを結成し、玉造の三光館に登場。それまでの万才は、音曲と切り離せないもので、端唄、都々逸、流行歌などを取り入れ、演者の得意とする、芝居、浪曲踊りなどの芸を見せるものであった。ところが、彼らは歌も歌わず、扇子で相手の頭も張らず、日常、親しいもの同士がかわすような自然体の会話だけで笑いを取った。

1933年(昭和8年)

日本/日本日本が国際連盟脱退

1934年(昭和9年)

吉本/エンタツ・アチャコ東京進出 大阪で爆発的な人気を得たエンタツ・アチャコの漫才が東京へ進出、新橋演舞場で「特選爆笑漫才大会」を開催し大成功をおさめた。10日間にわたって開催された「第二回特選爆笑漫才大会」では、代表作「早慶戦」が演じられる。

吉本/エンタツ・アチャコ解散 人気絶頂だったが、アチャコの病気により解散。

吉本/吉本社員が全員洋服に

吉本/吉本が映画界に進出

世界/ヒトラーがドイツの総裁に

1935年(昭和10年)

1925年(大正14年)ごろには大阪が日本一の大都市に西成、東成 両郡が編入され、大阪市の人口は133万人から210万人に膨張し、面積、人口ともに日本一の大都市となり「大大阪」と呼ばれた

吉本/ミス・ワカナが吉本に入社

1937年(昭和12年)

世界/日中戦争勃発

吉本/新聞社から慰問団の依頼 戦闘が拡大する中、大阪朝日新聞社から吉本へ慰問団を中国へ派遣する依頼が来る。

1938年(昭和13年)

日本/ラジオの普及とモダーン風俗 戦争の勃発によってラジオの聴取者が急増。白いエプロン姿の国防婦人会が勢力を伸ばす一方で、銀座ではワンピースに帽子という「モダーン風俗」の女性が闊歩していた。

吉本/わらわし隊を結成 1月、第1回わらわし隊のメンバーが発表された。当時としては最高のメンバーであり、この年吉本興業に入社した柳家金語楼が軍隊経験を買われてか、部隊長役となった。また、「わらわし隊」という名前は当時の日本軍の航空隊が「荒鷲隊」(あらわしたい)と呼称されていたことに由来する。

吉本/わらわし隊が慰問開始 2班にわかれ、北支班は門司から大連へ、中支班は長崎から上海へ向かった。彼らは約1か月に渉り、北支班は大連から天津、北京、石家荘、保定、彰徳などの前線を巡回、中支班は上海から鎮江、無錫、蘇州、南京、無湖など江南の各地で1日数回も熱演した。

吉本/通天閣を買い取る

1939年(昭和14年)

吉本/ミスワカナ・玉松一郎が行方不明に ミスワカナ・玉松一郎がNHK大阪放送局でニュース漫才の放送を済ませたあと行方不明になった。発見されたのち、吉本から新興へ移籍。

1941年(昭和16年)

吉本/全国主要都市における直営劇場・事業所が60か所に及ぶ

吉本/10月13日 吉本創業館 天満花月が閉館 兵隊に取られる演芸人が続出、芸人不足が原因で閉館になる。

1943年(昭和18年)

吉本/通天閣炎上 通天閣西側大橋座から出火、吉本直営の新世界花月亭、芦辺劇場、そして昭和13年に取得した通天閣本体が全焼した。吉本は通天閣を解体の上、軍需資材として大阪府に献納する。

1945年(昭和20年)

日本/3月10日 東京大空襲

日本/3月13日 大阪大空襲

世界/8月15日 太平洋戦争勃発

日本/日本国憲法公布

吉本/ほとんどの劇場を失う 戦争の影響で吉本の劇場がほとんど閉館に追い込まれてしまう。全ての専属芸人に解散を言い渡すが、花菱アチャコだけが頑なに拒み、吉本に残った。

吉本/常盤座に仮事務所を設ける 外郭だけが残っていた千日前の常盤座に仮事務所を設ける。12月には、修復された常盤座で「歳末笑演公演」と銘打ってアチャコ劇団の公演を行われる。

1946年(昭和21年)

日本/日本国憲法施行

吉本/常盤座が映画館に転向

1949年(昭和24年)

世界/湯川秀樹がノーベル賞を受賞 湯川秀樹が日本人として初となるノーベル物理学賞を受賞する。受賞の対象となったのは、原子核の中で陽子と中性子を結び付ける中間子の存在を予測した理論。

1950年(昭和25年)

吉本/吉本せいが62歳で死去

1951年(昭和26年)

日本/日本初の民間放送がスタート 9月に日本で初の民間放送「新日本放送」(現在の毎日放送)が本放送開始。その2ヶ月後に朝日放送(ABC)も本放送を開始した。

1952年(昭和27年)

日本/ラジオドラマが大ヒット NHK連続ラジオドラマ「アチャコ青春手帳」(長沖一作)が浪花千栄子共演で開始。爆発的な人気を獲得する。

1953年(昭和28年)

日本/NHK東京テレビジョンの開局 当時の受像機数は全国で3500台しかなかった

1956年(昭和31年)

日本/大阪初のテレビ局「OTV」が開局朝日新聞と毎日新聞が協力して「大阪テレビ​放送株式会社」(OTV)を設立した

1958年(昭和33年)

日本/一万円札を発行

1959年(昭和34年)

吉本/うめだ花月劇場を開場 演芸場開場を計画していた吉本は邦画館であった梅田グラ​ンド会館地下の改装にとりかかりに「うめだ花月劇場」を開場。毎日放送の開局とあわせてオープンし、こけら落としの吉本ヴァ​ラエティー「アチャコの迷月赤城山」が、MBS開局記念番組とし​て放送された。

1961年(昭和36年)

吉本/東京証券取引所に上場

1962年(昭和37年)

てなもんや三度笠がスタート 朝日放送で「てなもんや三度笠」が5月スタートし大変な人気を博した。大阪で64.8%、東京で42.9%という最高視聴率を獲得していた。

吉本/京都花月劇場開場

吉本/「吉本ヴァラエティー」を「吉本新喜劇」に改称

1963年(昭和38年)

吉本/なんば花月劇場を開場 「千日前グランド劇場」を大幅に改修して「なんば花月劇場」を開場した。
当初はフルバンドと15名のダンシングチームをバックにした「吉本ヴォードビル・ショー」を目玉に、東京からもスリー・ファンキーズ等の豪華ゲストを招いたが、大物タレントの出演料がかさんだため、開場から3ヶ月後従来の「吉本新喜劇」「ステレオコント」「ポケットミュージカルス」の体制に戻し、吉本専属芸人の舞台となった。

1964年(昭和39年)

日本/東京で五輪大会が開催

吉本/西日本最大のボウリング場「ボウル吉本」をオープン

1965年(昭和40年)

日本/テレビの普及率が90%超 テレビの普及率が90%を超えた一方、成人男子のラジオ平均聴取時間は昭和35年に1時間30分であったのが40年には27分に激減した。

1966年(昭和41年)

若者にラジオブームが到来 ABCラジオで「ABCヤングリクエスト」、OBCで「オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に」がスタート。若者からのハガキや封書に対して笑いを交えながら、真剣に応える放送は新しいラジオの方向性を示していた。

吉本/横山やすし・西川きよしのコンビが誕生

吉本/河村静也が桂小文枝師匠に入門 後に桂三枝・六代 桂文枝となる河村静也が桂小文枝師匠に入門した。

吉本/笑福亭仁鶴が「深夜ラジオのスター」と呼ばれる 「オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に」の火曜日を笑福亭仁鶴が担当する。当時タブー視されていた性についても話題にし、若者たちから「深夜ラジオのスター」というあだ名もついた。

日本/「新3種の神器」が流行語に 高度経済成長の真っ只中にあった日本では、「電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ」に代わり「カー、クーラー、カラーテレビ」が「新3種の神器」となった。

日本/ザ・ビートルズが来日 日本武道館で3日間公演、延べ8万人のファンが詰めかけた。公演を中継したテレビ番組の視聴率は56.5%を記録した。

1967年(昭和42年)

吉本/桂三枝が「歌え!ヤングタウン」のレギュラーに抜擢

1968年(昭和43年)

日本/三億円事件が発生

世界/川端康成がノーベル文学賞を受賞

1969年(昭和44年)

世界/アポロ11号が月面に着陸

1970年(昭和45年)

日本/大阪万博開催

吉本/仁鶴、三枝、やすし・きよしら、テレビの人気者を見ようと劇場に若者が殺到